『迂闊だったわ』


人のよさそうなあの男に対して、無用心すぎた。
いつもなら警戒するところなのに。おかげで面倒なことになってしまった。
こんなこと、今まで一度だってなかった。

それに、まさか、自分のいる寝室まで誰かが入ってこれるとは思わなかった。

「どうしよう…」

正体を知られてしまった。素顔を見られてしまった。
おまけに、もしかしたら左肘にある、闇の印も見られてしまったかもしれない。
だが、彼はさほど動揺した様子もなかった。

幾重にもはられた結界をやぶって来た男だ。只者ではない。
しかも人狼なのだ。油断してはいけなかった。
本当に彼は、彼が言ったとおり、心配してくれただけかもしれない。
しかし、何か狙いがあるのかもしれない。信用する訳にはいかないのだ。

このまま彼を野放しにすることはできない。



「…教師か…」


はベッドに腰掛け、ルーピンの杖を眺めると、小さくため息をついた。
その言葉は、彼によく似合っていた。





grace

3






ルーピンは、扉が開く音で目を覚ました。
光が差し込まない貯蔵庫は、扉から漏れる光で明るくなった。

彼が半身だけ床から起き上がると、入り口にいるが彼を見下ろしていた。
今の彼女の姿は、まだ昨夜見た、若い女性のままで。
夏の暑い朝、髪を下ろして黒いワンピースを着た彼女は、どこか涼しげだった。

「おはよう」
「……」

しびれた体を動かしながら、ルーピンが挨拶をしても、は顔色ひとつ変えなかった。
昨晩のように、未だ彼に訝しげな視線を送っていた。

「…あなた、この町に何しに来たの?」
「………君に関係あるかい?」
「ちゃんと答えて。」

寝起きに質問されたものだから、ルーピンは少しうつろな眼差しで彼女を見上げた。

「君も知ってるだろう?…噂でこの町の人狼たちのことを聞いてきたんだ。
 でも彼らは余所者には警戒心が強いらしくてね、なかなか信用してもらえない。
 仲間に入れてもらうにも、時間がかかりそうなんだ。」

は彼の言葉を聞くと、頷いた。

「私の疑いは晴れたのかな?」
にこっと笑って問うルーピンに、は顔をしかめた。

「余所者は信用できないわ。それに、人狼もね。」
「ひどいな。本当に何もしてないし、しようともしていないのに。」

そう言ってルーピンは肩をすくめた。余裕のある彼の口調が、彼女を苛立たせていた。
ルーピンに自分の秘密を知られてしまったが、彼の杖を持つのほうが、今は有利なはずなのに。

「私をどうするつもりだ?魔法省にでも訴える?」
「そんなことしたって、何の得にもならないわ。」

彼女にそれができるはずはなかった。彼の言葉に、ますます眉を寄せる
少し考えるようにルーピンから視線をそらした後、再び彼女は彼を見つめて言った。

「取引しましょう」
「…取引?」

今度はルーピンが眉を寄せた。意外な言葉が彼女の口から出てきたので、驚いたのだ。

「そう。しばらくあなたをここに置いてあげてもいいわ。またどうせ、宿がなくて来るんでしょうし。
 でもその代わり…」
「君の正体を秘密にしておくこと?」

が頷くと、ルーピンは少し考えた。


どうやら彼女は自分を殺すつもりはないと知って、ルーピンは内心ほっとした。
それどころか、取引と言ったって、彼のほうが得をしているように思えた。
寝泊りする場所もあるし、何より彼女のことを探ることができるのだから。
はどんなつもりかは分からないが、少なくとも戦う意思はないようで。ルーピンを見張りたいのだろう。
ならば、彼女が自分を信用する時が来るまで、ここにいてもいいかもしれない。

人狼たちの動向を探るルーピンの任務には、彼女は気付きようがないし。
もし今彼女が、ルーピンが騎士団の一員であることを知っていたら、こんな時間を稼ぐようなことはしないはず。
彼を仕留めるチャンスは、いくらだってあったのだから。

それに、昨晩寝言で助けを求めて怯えていた彼女の姿を思い出す。
なぜか、ルーピンはそれが気にかかっていた。


には悪いけれど、彼女を利用する価値は、十分にあった。
―彼女は、死喰い人だから。



「分かった。私にとっては願ってもないことだしね。」

ルーピンがそう言うと、はすっと彼の側に近づいてきて、杖先を彼の喉元に突きつけた。
また危機的な状況だというのに、彼女の顔が自分のすぐ間近にあって、ルーピンの胸が一瞬ドキリとした。
が何事か小さい声で呪文を唱えると、彼の喉が焼けるように熱くなった。
ルーピンの心配をよそに、彼女はまたすぐに彼から離れた。

「今のは?」
「もし私の正体を人に言ったら、喉がつぶれるようにしたの。」
「…物騒だな。」

ルーピンは自分の喉をさすりながら、顔をしかめた。
正体を秘密にして欲しいなら、最初から喉をつぶせばいいのに。
そうしないは、やはり他の死喰い人とは違うのかもしれないと、ルーピンは思った。

「あなたの杖は、しばらく私が預かっておくから。」

そう言ってはルーピンに背中を向け、貯蔵庫から出て行こうとする。

『無防備だな。それとも、余程腕に自信があるのか…』

ルーピンは彼女の後姿を、しげしげと眺めていた。
すると、がまた振り返って、相変わらずの無表情で彼を見た。

「何してるの?…朝食、いらないの?」
「え?あ、ありがとう」

まさか朝食を用意してくれているとは思っていなくて、ルーピンは気の抜けた返事をしてしまった。
の後姿を追って店へと向かいながら、彼はふと思った。




彼女のことを、もっと知りたい、と。















(2008.1.20)  のろのろ。少しだけ腹黒ルーピンさん?


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