その夢は、幾度となく現れては、私を苦しめた。
決して逃れられないと、言い聞かせるように、知らしめるように何度も、何度も。


(よくやった)



私の前に横たわる、人たち。


暗闇に、身震いするような声が木霊する。
真っ赤な、恐ろしい瞳が私を捉えて離さない。



逃げようとしても、足が動かない。
声をあげて助けを求めようとしても、声が出ない。



そして、左腕を掴まれ、前腕が燃えるように熱くなり、

身がよじれるような苦痛が訪れる―







grace

2






店に似つかわしくない客が来てしばらく、は無意識に、毎晩その人が来ていないか探すようになっていた。
身なりや正体はともかく、優しそうな紳士だったから、その時はただ単に珍しかっただけだった。
それに、今にも倒れてしまいそうだったから。警戒心は、全くなかった。

それからまた何日か後に、彼は再び、の店に姿を現した。



「図々しいね、また泊めてくれだって?」
「すみません。宿は探したんですよ、でも今晩は空いてないって言われて。」

またしても店じまいの時間になるまで居座った彼は、申し訳なさそうに笑って言った。
以前来た時よりかは、幾分か彼の髪も髭も整えられていた。

「まったく…しょうがないねぇ」
この前いらない、と言った代金をもらったことを思い出して、は渋々頷いた。
「また椅子の上で寝てもらうようだけど」
「ええ、それで十分です。」

がため息をついて振り返ると、バーテンが怪訝な顔をしてルーピンを睨んでいた。
大丈夫だから帰っていいよ、とが言うと、バーテンは一度ためらっていたが、やがて店をあとにした。


「ひとつ言っておくけど、あたしのいる2階へは、勝手にあがってくるんじゃないよ。」
「もちろん」

ルーピンが頷いたのを見て、は自室へと引き上げた。







『変な男』


もう10年近くも暮らしている部屋に戻ると、は枕の下に置いてある杖を取り出した。
彼女が杖を振るのは、1日でたったの2回だけだ。それも、誰も見ることはない。

それが、彼女の秘密のひとつだった。








固い椅子の上は決して寝心地がいいとは言えないが、親切にも貸してくれたブランケットも、屋根もある。
さすがにどこでも仮眠をとることができるようになったルーピンは、この日もうっすらと眠りについていた。

数時間が過ぎた頃、突然、


ガシャンッ

という物音が聞こえて、ルーピンはぱっと目を覚ました。
ローブから杖を素早く出し、立ち上がると周囲を見回す。音は、のいる2階から聞こえた。

杖先に明かりを点すと、ルーピンは静かに階段に近づき、2階へとつながるドアを照らした。
彼女に勝手に入るな、と言われたが、彼は心配になった。
いくら本人が嫌がっていても、彼女はもう結構な歳のようだったし、あの何かが割れたような物音も気になる。
ルーピンが扉の前まで行くと、部屋の中から呻き声も聞こえてくる。
放っておけなかった。

「大丈夫ですか?」

何度かノックをしてみても、返事がない。
しかも厄介なことに、鍵が呪文で開けられないどころか、複雑に魔法の結界も張られている。
ルーピンは眉を寄せた。これは、用心深いにも程がある。



しばらくかかってやっと扉が開けられるようになると、ルーピンは急いで部屋の中へと足を踏み入れた。
呻き声は、今や悲鳴のように部屋に響いていて、彼はその声のするほうへ向かった。
の声にしては、随分と若い声だった。


ベッドの脇のサイドテーブルに置かれていた食器が、落ちて割れていて、
そのベッドに横たわる人影が苦しそうにもがいている。

カーテンの隙間から差し込む月明かりの中、ルーピンが見たのは、
ではなく、一人の、若い女性だった。


「誰かっ……いやぁ!!!」

右腕は助けを求めるように空を彷徨い、もう片方の腕はぎゅっとシーツがきつく握り締められていて。
それを見たルーピンは慌てて彼女に近づいて、起こそうとした。

しかし、その時目にしてしまった。
薄明かりの中、それは浮かび上がっていた。

袖口から覗く、彼女の左肘にある印が―



「…助けて……っ」

信じられないようなものを見てしまって、ルーピンは息を呑んで、動けずにいた。
でも、彼女の喉から搾り出すようなその声を聞いて、はっと我に返った。

目の前の彼女は、苦しそうに呻いて、助けを求めている。その目尻から、涙がこぼれている。
伸ばされていた腕をとると、ルーピンは彼女を揺り起こそうとしたが、
その瞬間、逆に彼女にしがみつかれるかたちになってしまった。

「……お願い…」

掠れた声で彼女はそう言った。ルーピンはどうしたらいいものか迷ったが、
空いているほうの手で彼女の背を、まるで子どもをなだめるように撫でた。

「大丈夫、…大丈夫だから…」

ルーピンも半ば混乱していて、無意識にその言葉を口にしていた。
彼の腕の中にいる彼女は、次第に荒かった息も落ち着き、静かになっていった。
それに気付いたルーピンは、彼女の顔を覗き込むようにして見下ろした。

薄明かりの中、彼が見た彼女は、整った顔立ちの、20代ぐらいの女性だった。
まだ幼さの残るその顔は、可愛らしくもあり、美しくもあった。
ルーピンは眉を寄せて、彼女を少しの間見つめていた。

「………?」

彼が名前を読んだ直後、ふわっと彼女のまぶたが開いた。
透き通った、大きな瞳がルーピンの瞳とかち合った。
彼は、その瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えた。だが次の瞬間、

「……っ!!!」

声にならない声をあげて、彼女はルーピンを勢いよく突き放し、ベッドの上で起き上がった。
瞬時に枕元にひそめていた杖を抜き取り、押された反動で少しよろめいた彼の眉間に、その杖を突きつけた。
彼女の表情は、恐怖で強張っていた。その手に持つ杖の先から、パチンと火花が散った。

「待ってくれ、」
「ここで何してるの?!」

肩で息をしながら、ルーピンをにらみつけながら彼女は言った。
対するルーピンは、両手をあげて、落ち着いた表情を見せていた。

「下で寝ていたら、何かが割れる音がこの部屋から聞こえて心配になったんだ。
 君のうなされる声も聞こえてきたから、失礼だとは思ったんだが…」
「2階にあがってくるなって言ったでしょう?!」

その言葉に、ルーピンは目を少し見開いた。

「…?」

今度は彼女が驚く番だった。墓穴を掘ってしまったのだ。
は空いてるほうの手で自分の顔に触れて、今の自分の状況にやっと気がついた。
少し着崩れた寝巻を慌てて調え、袖で覆われている左腕を見て、そしてルーピンに視線を移した。
彼はまた視線が合うと、今度は首を横に振って言った。

「君を起こそうと思ったら、君が私にしがみついてきたんだ。私は何もしていない。」
「……」

はしばらく、彼の顔を睨み付けていた。
今起きていることに、どう対処していいのか迷っていたのだ。
彼は、自分の左腕にある印に気付いたのだろうか。
でも下手にそのことを確認しては、また墓穴を掘りかねない。彼は何も見ていないかもしれないのだ。

「…あなた、どうやって部屋に入ったの?」
「もちろん、扉の結界を破って入った。なかなか梃子摺ったけどね。」

彼は口元に苦笑いを浮かべながら、まっすぐを見つめていた。

「何者?」
「ただの人狼さ。こう見えても、以前は学校で教師をしていたこともあるから、多少腕には自信がある。」

ルーピンは少しでも目の前で警戒する彼女を落ち着かせようと、話を続けた。

「でも、君には驚いたよ。あれだけの呪文を使えるし、何より見事に違う人物に変身していたし…」

は眉をひそめた。

「杖を渡して」

はりつめた声でそう言うと、は空いている片手を彼の前に突き出した。
ルーピンは彼女の表情を窺いながら、右手に持っていた杖を彼女に渡した。
それでも、は彼に向けている杖を下ろしはしなかった。
彼女はベッドからひらりと降りると、今度はルーピンの胸元に杖先を押し付けた。

「歩いて」
「これじゃ犯罪者じゃないか?」
「黙れ」

きつい口調の彼女を、ルーピンはため息をついて見下ろした。相変わらずは彼を睨んだままだ。
言うとおりにして、彼は杖を突きつけられたまま階段を降りた。

たくさんの酒が置いてある狭い貯蔵庫に、彼は押し込められた。
は傍らに置いてある小さいランプをつけると、彼にブランケットを放り投げた。

「…私を追い出さないのか?」
「……」

明かりに照らされた彼女は無表情で、彼の質問を無視すると、
彼をその場所に残して、貯蔵庫から出て行った。もちろん、扉が開かないように外側から呪文をかけて。

彼女の足音が遠ざかるのを聞いて、ルーピンは額を押さえながら、その場に座り込んだ。
疲れた表情で、まぶたに手をあてた。

「正体をばらしては困ると言う訳か。まいったな…」


思いがけず出くわしてしまったことで、面倒なことになってしまった。
ルーピンはため息をつき、薄明かりの中瞳を閉じた。


脳裏に浮かぶのは、間近で見た、の透き通るような美しい瞳だった。


もう一度彼は目を開けると、考え込むようにじっと一点を見つめた。



腕に闇の印を持つ彼女は、
誰に助けを求めていたのだろうか。















(2008.1.14)  今までとは違うクールなヒロインを目指したいなぁ、なんて。


お気に召しましたらお願いします(*^-^*)→ WEB拍手 web拍手


back  /  home  /  next