ルーピン30のお題

12.秘密



人気のない渡り廊下。少し頬に当たる風が涼しくなってきた。
まぶしい明かりに目を細め、はぼうっとオレンジ色の夕日に目をやった。
彼女は、今更ながらにその問題を突きつけられ、どうなのだろうと、考えをめぐらせていたのだった。
それはつい数時間前の、自分の受け持つ授業が終わった後、お年頃の女生徒たちからの質問だった。




先生、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど…」

が教科書や生徒達から受け取ったレポートを片付けている最中、彼女達は数人で、ひそひそと小声で話しながら近づいてきた。
ばらばらとほとんどの生徒達は既に退室しており、教室に残っているのは、とその女生徒たちだけになっていた。

「何かしら?」
優しく微笑みながら、でも彼女達が少し余所余所しいので、首を傾げながらは答えた。
見つめられた女生徒たちの一人が、キラキラした好奇心旺盛な瞳で、彼女を見返して言った。

先生って、ルーピン先生とよく話されてますよね?」
「えっ、…あ、ええ、そうね。よく相談に乗ってもらったりするのよ、私まだ新米だし、年の近い先生もいないし…」
いきなりルーピンの名前が出てきたので、思わず驚いて、口が勝手にペラペラと喋ってしまう。
それはがうろたえている証拠だった。つい最近なのだ、がルーピンに対する、自分の気持ちを自覚したのは。

女生徒たちは、そんなの反応にも気付かず、更に質問を続ける。
「じゃあ、ルーピン先生のプライベートなことって、知ってますか?」
「ルーピン先生って、ご結婚されてたり、恋人がいたりするんでしょうか?」
「えっ…」
その問いに、思わずの言葉がつまる。
女生徒たちははにかむように、お互いに目配せをして、わくわくしながらの返答を待っていた。
当のはというと、今まで考えてもみなかったことを聞かれ、ガン、と頭を何かに殴られたような錯覚に陥った。

そういえば、一度も聞いたことがないのだ。ルーピンにそういった相手がいるのかどうか。
当たり前のように、自分をからかったり、優しく相談に乗ってくれているルーピンは、きっと独身だろうと思っていた。
少なからず、今は、彼に対して好意を持っていて、恋愛に発展までさせたいとは思っていなかったが、ひとり浮き足立っていたのかもしれない。
一番肝心なことを知らなかった。思えば、ルーピンはの話ばかり聞いてくれて、自分の話はあまりしないのだ。
ホグワーツに単身で赴任してくるのは当たり前。校外に、家庭を持つ教職員は何人もいるのだ。

「…そういえば、私聞いたことなかったわ…ごめんなさいね。」
少し青ざめながらは答えた。
「えー!そうなんですか?!」
「他の先生なら知ってるかなぁ?」
女生徒たちはがっかりして声を上げるが、は上の空だった。
彼女達が礼を言い、退室する後姿を見送って、自分はなんてまぬけなんだろうとは思った。


ルーピン先生はあんなに優しいし、生徒達や先生達からも尊敬されて好かれているし…
相手がいないなんて、なんでそう決め込んでいたんだろう。
冷静に考えれば、いそうなものじゃない!

ずしんと、の心は重たくなった。

『でも、この場合いたほうがいいのよ、そしたら私だってすっぱり諦められるし…』

前の失恋から臆病になっていたは、ルーピンへの気持ちに気付いていたが、ただの憧れだと思い込むことにしていた。
そうは言っても、ルーピンに相手がいたらいたで、やっぱりそれなりに、いや、かなりショックを受けてしまいそうだ。
それぐらい、の気持ちは膨れ上がっていたのだから。






そして今に至る。

外の景色が見渡せる渡り廊下。手摺に体を預け、肘を付いて両手に顔を乗せ、ぼんやりと思考を巡らせる


聞いたほうがいいよね、やっぱり。
あぁ、でも聞くのってかなり失礼じゃないかしら、ご結婚されてるかどうかなんて。
わざわざ改まって聞くのも変だし…それとなく聞くのって難しそうだし、特にルーピン先生の場合。
他の先生に聞いても分かるかどうか…特に結婚はしてなくても、恋人がいるかどうかなんて、分かるはずない。

「う〜〜ん、どうしよう…」
「どうかしたのかい?」

「!!」

弾けるようにが振り向けば、すぐ後ろにルーピンが微笑んで立っていた。
彼女の心臓は、驚きで早鐘のように鳴っていた。

「もう!!驚かせないでください、ルーピン先生っっ!!」
「ごめんごめん、だって君が全然気付かないからさ。」
真っ赤になって口を尖らせるを、面白そうに見つめるルーピン。何気に至近距離だった。
どきん、としては少し距離を置き、火照った頬を隠すように、また夕日へと視線を戻した。
ルーピンは、そんなをからかってか、すぐ隣に、彼女と同じように手摺に肘をかけ、彼女を見つめた。

「何か悩み事かな?」
「…悩み事というか…そんな大したものじゃ…」

ルーピンが隣にいるだけで、ドキドキしてしまう。いつも朝食の席は隣同士だけれど、今ほど至近距離じゃない。
彼の視線も声音も、とても優しくて、勘違いしてしまう女性はたくさんいるんだろううな、とは漠然と思った。
きっと彼女自身もその一人なのだろうと。

『思い切って聞いちゃおうかな、生徒から聞かれたって言えば、不自然じゃないし…』

本当は答えを聞くのが怖いけど…。

横目でちらりとルーピンを見やってから、彼と視線を合わせず、意を決しては口を開いた。


「ルーピン先生は…あの、ご家族というか…ご結婚されてるんでしょうか?」

あとで思い返せばおかしいくらい、声が上ずってしまった。ルーピンはきょとん、とした顔で彼女を見た。

「いえ、あの!生徒が、今日生徒が私に質問してきたので!…そういえば私も知らなかったなぁって…
 先生にご家族がいらっしゃるとか、恋人がいらっしゃるとか…」
慌てて身振り手振りを付け加えて、はルーピンを見上げた。
「すみません、いいんです!プライベートなことなので、お話したくなければ答えていただかなくても…!!!」
ブンブン、と必死に手を振るを見ていたルーピンは、少しの間を経て、小さく笑い出した。
彼は彼女が見ていた夕日を見ながら、微かなため息をついた。それはどこか、寂しげに見えたのは、の気のせいだろうか。

「結婚もしてないし、恋人もいないよ。」

「そ、そうなんですか…」

彼のはっきりとした、その返事に安堵するとともに、は聞かなければ良かったと思った。失礼な奴だと思われただろう。
だから誤魔化したかったのだろうか、ついぽろっと、口から本音が出てしまった。

「…よかった。」
「…え?」

驚いてへ視線を移したルーピンに、彼女は満面の笑顔で言った。

「私もいないんですよ。だからお揃いですね、私達。」

可愛らしいその微笑につられて、ルーピンも笑顔になる。

「お揃いって、君ね…。は若いけど、もう私はいい年なんだから、いなくちゃおかしいと思うんじゃないか?」
「そんなことないです!ルーピン先生は優しいし、尊敬できるし、素敵だし、おかしいだなんて思いません!」

言いながら、なんだか遠まわしの告白のようだから、は咄嗟に「生徒たちは」と付け加え、自分の手元を見た。
聞いていたルーピンの頬が、微かに紅くなったのにも気付かず。


の視線の先には、自分の華奢な手と、すぐ隣にルーピンの一回り大きな手。
先日彼の怪我を治療した時、その手に触れたことを思い出す。温かくて、逞しくて、安心できる手。
彼の手にまた触れられる日は来るのだろうか。恋人同士になって、手を繋げたらどんなに素敵なんだろう。

いつも自分に優しくしてくれるルーピン。
けれど、彼は自分をどう思っているのだろうか。やっぱり彼にとって、自分はただの同僚か後輩なのだろうか。
触れられそうで触れられない、この距離が、とてももどかしくて。



がさっきまで悩んでたのって、このことだったの?」
ルーピンの言葉に、ははっと我に返った。そして苦笑いをしながら彼を見つめ返した。
「そうなんです、すみません、失礼なこと聞いちゃって…」
女性は大変だなぁ、と暢気に笑うルーピン。なんだか、今の雰囲気ならもっと聞ける気がして、は聞いてしまった。

「そうだ!多分、この質問もきっと聞かれると思うから、教えて欲しいんですけど…」
「なんだ、はそんなに私のプライベートをみんなに話したいのかい?」
「そういう訳じゃないですけど…。だってルーピン先生、生徒達に人気なんですよ。」
「それはだって同じだと思うけどね。で、なんだい?」

「先生って、どんなタイプの女性が好きなんですか?今、好きな人っていますか?」

我ながら、なんて大胆な質問だとは思った。随分思い切ったものだ。
彼の答え次第では、失恋決定かもしれないというのに。
ドキドキしているとは逆に、ルーピンはふと、いたずらっぽい笑みを浮かべ、彼女を見つめた。

「そうだなぁ…」
わざとらしく、答えをもったいぶったかと思うと、次の瞬間、彼は信じられない行動に出た。

「こうやって、」
「!!!」

は驚きと恥ずかしさの余り、硬直してしまった。

「私が眠っている時に、優しくしてくれる人かな。」

そう言いながら、ルーピンは片手で、の額をふわっと優しく撫ぜた。
その彼の眼差しは、とても穏やかで。夕日に染まって綺麗に輝いていた。

「ル、…ルーピンせんせい……、まさか…あの時っ」
心臓がバクバクして、声も震えて、顔もさぞ真っ赤に染まっていただろう。
は半ば涙目になりながら、口をパクパクさせ、その先が声にならなかった。

『まさか、あの時起きてたの?!私が先生の額を、ついうっかり撫でてた時…?!』

そんなの反応に満足したのか、彼はにっこりと笑うと、その手をそのまま彼女の頬に滑らせた。
もちろん彼女の上気した頬は、とっても熱くなっていて。びくり、とは一瞬目をきつく閉じた。

「どうしたの、?顔が真っ赤だけど」

か、確信犯だわっ!!!!


「夕日のせいです!!」
そう言うと、はばっと自分の両手で、彼の自分の頬に触れている手を掴んだ。
それがまたさらに、恥ずかしくなるとも知らずに。わわっ、と言いながら、慌ててはルーピンの手を放した。
もう恥ずかしすぎて彼の顔が見れない、と思っていると、頭上からは笑いを堪えるルーピンの声が。

「からかわないでください!ルーピン先生っ!!」
「本当に初々しいなぁ、は…」
そう言いながら、まだ笑いを堪えている。はからかわれているのか、彼が本気なのかもうよく分からない。
ただ恥ずかしくて、恥ずかしくてしょうがなくて、唇をかみしめながら、真っ赤になって下を向いた。
人の恋心を、なんだと思っているんだ、からかうなんて…

「ごめん、ごめんよ、
落ち着いた声音で、ルーピンがまた話しかけても、はぷいっとそっぽを向いて返事をしなかった。

「あと、後者の質問だけど…」
好きな人はいるか、という質問だった。はつんとしながらも、聞き耳をたてていると、


「いるよ」

「え?」

思わずが彼を見上げると、彼はに優しく微笑んでいた。少し困った顔にも見て取れた。

「それが誰かは秘密、だけどね。」
「秘密、ですか」
「うん。まぁこんなんじゃ、答えているようなものだけどね。」
そう言いながら肩をすくめるルーピンに、今度はがきょとんとする番だった。

もしかして、彼女はとても鈍いんじゃなかろうか、とルーピンは思った。彼女は首を傾げていた。
からかいすぎたのか、さっきの答えを本気にしていないのだろうか。
でもそんな彼女も、ルーピンにとっては可愛らしく、しかし、じれったく思えて。

「じゃあ私は行くから。君もあまりここに長居しないほうがいいよ。風が冷たくなってきた。」
「あっ、はい。…すみません、ありがとうございま…」

が言い終えないうちに、ルーピンが屈んで、彼女の頬にそっと口付けた。
それは一瞬のできごとだったのに、彼が離れていく瞬間が、妙にスローに感じられた。

「またあとでね、

彼女に笑いかけ、ルーピンはその場をあとにした。呆然と突っ立っているを残して。

「…っ、もしかして…」
今日は忙しいの顔色は、夕日のおかげで一層紅く染まり。
彼女は彼の温もりが残る頬に手を当てて、その場にしゃがみこんだ。
「…からかいすぎなんですよ、まったく…」




まだ口に出すほど、勇気はないのだけれど、はっきりと確信した気持ちがルーピンにはあった。

『あれぐらいやらないと、分からないものかな』

ころころと、忙しなく変わる彼女の表情や言動を思い出し、笑みを堪えつつ。
芽生えた気持ちが今は何にも増して、幸せな気分にしてくれる。自室へと向かう、彼の足取りも自然と軽くなっていた。


がもどかしく思っていた、指先の距離も、あとほんの僅かで縮まりそうな。
そんな秋の始まりだった。












(2011.12.4) 3年ぶり(?)の復帰作。。長いし。少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。ばかっぷる(笑。


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